2012/06/06

2012年6月30日(土)第2回研究会案内「十九世紀東アジアにおけるジャーディン・マセソン商会の商館建築の研究」

日時:2012年6月30日(土) 15:00-17:00
場所:稲盛財団記念館3階 小会議室Ⅰ【地図はこちら
発表タイトル:十九世紀東アジアにおけるジャーディン・マセソン商会の商館建築の研究  
発表者:水田 丞 (広島大学大学院工学研究科建築学専攻)

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発表内容:

本研究は、ジャーディン・マセソン商会(Jardine, Matheson & Co. 中国語で怡和洋行)の商館建築の造営・管理運営について研究するものである。
十九世紀東アジア最大のJM商会は、1832年に中国の広州において2人のスコットランド人、W.ジャーディン(William Jardine,1784-1843)とJ.マセソン(Robert Matheson,1796-1878)によって設立された。1844年にはその拠点をイギリスの植民地になって間もない香港に置き、上海、福州をはじめとする中国沿岸の開港場、そして日本の横浜や長崎といった開港都市に次々に支店を開設し、職員や代理人を使って現地の商人との貿易、またプラント輸出などの対政府取引にも関与している。さらに、JM商会はこれらの商活動ばかりでなく、現地人や在留外国人をテナントにした宅地建物の管理・賃貸にも従事していた。
JM商会の東アジア近代史における重要性は早くから注目され、特に経済史の分野から優れた研究が生み出されてきた。一方、本研究は建築史学的な視点に立って、例えば、彼らの活動の拠点となる商館建築の造営にあたり施主である商人たちは何を意図していたのか、また、建築家の雇用、アジアの気候や職人、材料や工法などにどのように対処したかといった問題を考察したい。もちろん、商活動と直結した商館建築の建築には、経済的な損得が最も要求されたであろうが、しかし、商人たちの建築活動にはシンボルとなる自らの館を構えることへの憧れ、現地の文化の衝突と受容、さらに、香港本店や支店間相互における材料や設計プラン、建築家の影響や流通といった、国境や地域の枠を超えた連環的な物語もあったものと期待される。
以上の問題点を念頭におきつつ、まず、当時のディレクトリー(外国人名鑑)を資料に用い、東アジア(香港、中国、台湾、日本)の開港都市におけるJM商会の支店の開設状況について、1850年代から1920年代までを目途にリスト化し、その全貌と推移を把握する。次に、JM商会文書や英字新聞といった同時代資料、JM商会の社史や刊行物から丹念に史料を収集し、JM商会香港本店、上海店、横浜店といった主要店における店舗の造営状況を復元的に考察する。特に復元考察の過程で、商館建築の意匠、材料、建築家や大工との駆け引きといった論点を抽出し、連環と境界、衝突と受容の観点から考察する。そして復元考察によって得た知見をもとに、例えば、商品の検査や保管場所の位置、事務部門と住居機能の配置関係など、JM商会の商活動と商館建築の平面や構造形式との関係を把握、またその時代的な推移も読み取ることを試みてみたい。

目次

はじめに
1.東アジアにおけるJM商会の商館建築の開設状況
2.主要店舗の造営状況(香港本店、上海店、横浜店他・・・)
3.商活動と商館建築、その変遷 まとめと考察