2015/05/29

第12回研究会案内

アジア近代建築史・都市史研究会
12回研究会案内

日時 2015年6月19日(金)15時から
会場 京都大学地域研究統合情報センター 2階セミナー室

〔報告1〕
スターリン建築からフルシチョフ建築へ
―ソヴィエト宮殿設計競技にみる「公式」建築の転換―

本田晃子(早稲田大学高等研究所)


1957年から59年にかけて開催された、二度にわたるソヴィエト宮殿設計競技――それはフルシチョフにとって、スターリン建築を解体する試みであった。
《雪解け》の時期のソ連建築に、このフルシチョフのソヴィエト宮殿コンペはいかなる変化をもたらし、あるいはもたらさなかったのか。

<詳細>
 1931年から34年にかけて計4回開催されたソヴィエト宮殿設計競技は、ロシア・アヴァンギャルドから社会主義リアリズム、ないしスターリン建築への転回を決定づけた出来事だった。このコンペにおける幾度もの審査と再設計の過程を通して、1920年代のアヴァンギャルド建築の多様な活動は否定され、党のイニシアチブによってソ連建築の「唯一の、正しい」規範が確立されたのである。けれども1953年のスターリンの死と、それに続くソ連建築家同盟大会でのフルシチョフのスターリン建築批判は、状況を一変させた。スターリン建築、とりわけその代表たるソヴィエト宮殿計画は、「過剰装飾」と「虚偽のモニュメンタリティ」の名の下に断罪された。そしてそれに代わる新しい建築様式の選定の場となったのが、再度のソヴィエト宮殿設計競技だった。
本報告では、このフルシチョフのソヴィエト宮殿コンペ、そしてそれに先立って行われたパンテオンおよびレーニン・モニュメント設計競技をとりあげ、これらのコンペがソ連建築界にもたらした変化を検証する。

※ 本田さんが昨年出された『天体建築論―レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』東京大学出版会出版会(2014年、サントリー学芸賞)もぜひご一読の上お越し下さい。